目が覚め、拉致されていた事に気がついてからエイレはずっと耳を澄ましていた。扉の向こう側に見張りがいるみたいだが、声がよく聞き取れないので情報収集には向かなかった。しかし、窓の方なら声がよく聞こえる。しかもそこはちょうど人のたまり場になっているのか、いろいろと話が聞けた。しかしほとんどは世間話や上司への愚痴ばかりで、最初は何も得られなかった。でも、どうやらこの基地にいるのは多くても4人しかいないみたいだ。
それに夜になると、彼らはラジオを大音量で流し、エイレはなかなか寝付けなかった。いや、多分それが目的なのであろう、寝かせないでストレスを溜めさせるという。でも、もともと殴られた痛みでそう簡単には寝付けないと思っていたエイレは、さほどストレスを感じなかった。
2日目はいよいよ頬と顎が痛みだし、触ると腫れている事が分かる。固いパンも強く噛む事は出来ないから、水で柔らかくしてからゆっくりと食べるしかなかった。その間に、エイレはやっと役に立てる情報が手に入れられた。
「マティアス様、明後日まで帰ってこないんだとよ」とスペイン語で男達は話した。
「マジ?でも何でまた急に?」
「街の方で暴動があって、その時仲間がやられたみたいだぜ?」
「また暴動か……今月でもう何回目だ?3回か?」
「そうだな…(ここで煙草を吸う音が聞こえた)…でもま、仲間と言っても勧誘した警察だから、いくらでも代えはあるからな」
警察?
警察まで彼らは仲間に取り入れたのか?つまり、ここから出られたとしても、エイレは警察に駆け込めなくなる。いや、いくらなんでもすべての警察が彼らの仲間だと言う事はあり得ないが、危険な橋であることには変わりはなさそうだ。
それに、今彼女はアメリカにいない事も確信した。
皆がスペイン語を話しているからって、ここがアメリカじゃないとは言い切れない。でも、頻繁に暴動が起こるなんて、どんなに治安が悪い場所でもアメリカではあり得ない。だから考えられるのは、仲南か南アメリカ。そのどちらかにいるのだろう。
でも、そうやって考えると、エイレは拉致されてから、少なくとも1日は眠っていた、いや眠らされていた事になる。
「で、その間こいつ(言いながらエイレのいる部屋の壁を叩いた)はどうするんだ?」
「マティアス様は、丁寧に扱えとは言ってたな」と意味深な含み笑いをしながら言った。
もう1人もつられて笑い「当たり前だな、俺達はいつでも女性を丁寧に扱うよな」と言った。
会話はそのまま下品な方向に進み、エイレは理解できる事を初めて苦痛と感じた。
しかし、話すだけで彼らはその日何も仕掛けてこなかった。確かに、仕掛けてこない方が良いかもしれないが、今のエイレにはその時しか反撃のチャンスがないのである。
そして夜はまた更け、大音量のラジオが朝になるまで流れた。そのせいで、2日間もろくに眠れなかった疲れが一気に強まった。
ああ、とエイレは疲れた頭で考えた、彼らはこれを狙ってたんだ、と……
錠の外される音、ドアのきしむ音、そして何人かの足音が又聞こえた。ベッドの上で疲労で寝そべっているエイレを見て、男達は下品な笑いをした。
「おい、扉はちゃんと閉めとけよ?万が一があっちゃ大変だからな」と、一人が言いながらエイレに近づいた。
もう一人の男も分かったよと軽口をたたき、背を向けドアに錠をかけようとした瞬間、ぐえっとカエルを握りつぶしたような声がした。何事かと振り向けば、男は今何が起こっているのかが信じられないように、空いた口がふさがらなかった。
後ろに腕を捻られながら、首元に銃がつきたてられている彼の仲間と、先程まで眠っているとばかり思っている女だった。
「今すぐ扉を開けなさい」と女は昔の言葉で静かに言った「それと、仲間は呼ばない方が賢明よ?この距離なら、私は狙いを外す事はないから」
一瞬ハッタリだと思おうとした男だが、彼女が手に持っている銃の安全装置が外れている事に気がつき、息をのみ込んだ。油断していたとはいえ、こんなにあっさり捕捉されるはずがない。いったい、この女は何者なんだろうか?
「な、何してんだよ!」と銃を首に着きたてられ慌てふためいている男がスペイン語で喚いた「早くこいつを撃て!!」
はっとしたように、懐に手を入れ銃を取り出そうとすると、それよりも早く女が銃を向け撃った。ひゅん、と耳元を何かを掠めた音がし、それからチリっと小さな痛みが頬に感じられた。
「次は、当てる」と、銃を捕捉している男の首に戻しながら女は言った。銃を首に当てられたとき、熱っと喚いたところを見ると、女は確かに銃を撃ったようだ。
反射神経が、銃を手慣れている人のだった。
「さぁ」と女はもう一度促した「扉を開きなさい」
慌てて男は言われたとおりにした。今になって、マティアスが『王女親衛隊の奴等を見くびるな』と言っていた理由が分かった。
扉を開け、2人が背を見せないで扉を抜けきる前に、女が錠と鍵を彼の仲間に渡しなさいと命令した。恐る恐るそうすると、次に女は仲間に男が部屋に入ったまま閉めなさいと命令した。
そうして閉められた扉を、抵抗もせず男は見守った。これは夢なんだと男は思いこもうとしたが、次の日に扉が開いた時に入ってきたマティアスの存在で男は自分がとんでもない失敗をやらかした事をやっと理解した。
「車は?」
首に銃を突き立てられたまま聞かれる男は、苦しそうに向こうにあると顎でさした。鍵は?と聞かれ、車に差し込んだままと素直に返答した。ここで嘘をついて撃たれるのは勘弁したかった。ちょっと前まではこの女にそんな度胸があるとは思えなかったが、今はまるで人が変わったかのようだ。
車に着くと、運転するように命令され、ちょっと戸惑いながらもなんとか車を発進させる事が出来た。わざわざ人がいない時に事を進めようと思っただけに、それを逆手に取られるのが悔しかった。
基地から街へ行くには何もない場所を少しばかり走らなければならない。そこを走っている途中、女が突然車を止めろと命令した。吃驚して急ブレーキをかけたが、女は怯まなかった。そして、今度は車を降りろと言われ、男は素直にそうした。
まさか、ここで処刑されるのでは?と青ざめたが、予想に反して女が言ったのは「財布を出せ」だった。
「さ、財布を?」
「必要なのは現金だけよ、カードや免許証は取らないから安心しなさい」
それなら、と思えてしまう所で男の頭はちゃんと働いてない事がうかがえる。ありったけの現金を渡すと、女は軽く確かめてから車のドアを閉め、そのまま車で走り出した。
車の姿が見えなくなって、男はやっと自分が何もない所に放置されたのだと気がつき、途方に迷った。
疲れた体に鞭打ちながら、エイレはなんとか車を走らせた。名付け親に教えてもらった銃の扱いがここで役に立てるなんて夢にも思わなかっただろう。
しかし、まるで自分が自分じゃないようだと、彼女は頭の隅で思った。エイレは男の腕を捻りあげるやり方を知っていても、それを実践にした事はなかった。それに、銃を戸惑いもなく人に撃てた事もにわか信じられなかった。
その理由を深く考えられる前に、街が見えてきた。そして、看板で今彼女はグアテマラ共和国にいる事を知った。
とりあえず、そっちの事は考えるのを止そう。
再び奴等に捕まらないようにしなければならないのだ。何だって相手は警察にも仲間がいるらしいから、油断は出来ないのだ。いや、仲間が居なくたって、迂闊には警察に行けないだろう。
なんたって、彼女の知らぬ間にではあったが、エイレは今や不法入国者なのだから。
↓あとがき




